人は皆、大小様々な悩みや迷い、不安を抱えて生きていると思います。
そんな時、
人って何だろう? 心はあるの? 真理が知りたい。
何で悩むんだろう…。 今の自分が嫌、自分を変えたい。
自分は必要ないんじゃないか...。 毎日がつらい。
人は何のために生きるの? 健康で若々しくいたい。
などと考えた事はありませんか。
人の本質を知りその応用を学ぶ事で、夢や希望に向かって人生をより活き活きと過ごすことに繋がればと思い、吉田法術養成講座を開講しております。
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そんな時、
人って何だろう? 心はあるの? 真理が知りたい。
何で悩むんだろう…。 今の自分が嫌、自分を変えたい。
自分は必要ないんじゃないか...。 毎日がつらい。
人は何のために生きるの? 健康で若々しくいたい。
などと考えた事はありませんか。
人の本質を知りその応用を学ぶ事で、夢や希望に向かって人生をより活き活きと過ごすことに繋がればと思い、吉田法術養成講座を開講しております。
本来「法術」という言葉の意味は、
宇宙の摂理 を 応用する技術
「法」 「術」
という意味になります。
法術という分野には、
天文学や物理学、心理学、医術
などがありますが、どれも
「因果律が伴う自然界の
摂理/法則を応用したもの」
となります。
つまり、法術とは「学問」となるわけですが、
その自然界の法則を研究する分野は次の二種に分けられます。
「物質的モノである形而下学」と「精神的要素を探究する形而上学」です。
これらは哲学を基として因果律思考(サイエンス=客観的体験の積み重ね)により発達してきました。
形而下学(物質哲学)を分かりやすく言うならば「科学/化学」となり、
この哲学は機械の発達により実験等が可能となり、前記のように名が変わる事となります(哲学的理論を客観的に実証/立証する)。
これに比して形而上学は
根本的生命や活きるための哲学に
特化した研究となります。
当初において
上学は自然界の仕組みを探究
していたのですが、
それが進む事により
「自然界の究極面はヒトにある」
という事に気づく事となるのです。
その事により
「自然界全般を研究する形而上学
から派生した哲学が人智学」
となります。
形而上学(自然哲学)から派生した
人智学の研究が進むにつれ
「自然界(宇宙)の法則は
ヒトの法則に対応(共鳴)している」
と言う事に気づき、その理論を基として更なる発見を求める事となります。
そうして生まれた定義が
「自然界を大宇宙」とするならば「ヒトは小宇宙である」
となるのです。
この定義については、客観思考(深い洞察力)を有するモノ達によって理論の立証/実証実験が行われる事となるのですが、人智学は識(心)の探究でもあるため己自身の洞察によって成される事となります(ヒトの研究=識の探究)。
まとめると法術と呼ばれるモノは因果律思考によって編み出されたモノとなり、形而上学と形而下学の二種として発展したモノとなるのです。
さらに形而上学の派生としてヒトに特化して研究を進める事となったモノが
人智学となり、ヒトの本質である識(心)の探究により生み出されたモノが
今で言う人智法術(当派法術)となるのです。
己を変える事により思考方も変わり
思考方が変わることにより
周りの環境に対する捉え方が異なる
その事により
目に見える世界から
見えない世界まで
その心に共鳴し
世界も異なって感じるようになる
さらに己が変化することで
周りの環境にも
さらなる変化を与える
この連綿とした流れの中で
心はこれまで体験したことのない
新たなる世界を観ることになる